小島アジコの落書き置き場

おもに幻想再帰のアリュージョニスト、ゆらぎの神話関連の落書きを上げています。

スポンサードリンク

wikipwdia オルクスとオーク。近代の亜人について

オルクス - Wikipedia

オルクス(Orcus)は、ローマ神話に登場する死の魔神。
本来はエトルリアの神で、墳墓の壁画などでは、髭を生やした恐ろしげな巨人の姿で描かれる。死の神という事から、後にプルートーと同一視された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9

で、

オーク (架空の生物) - Wikipedia

ベオウルフ(ll: 112)ではゾンビに似たグレンデルの種族について「オーク=ナス」(Orc-néas)という記述が見られる。オーク=ナスは「オルクスの死人」を意味しているようである。ローマ神話に登場するオルクス(Orcus)は死者の国の神であるプルートー、ハーデース、ディース・パテルの別名である。ハーデースと同様、オルクスは死者の国そのものを指す言葉ととることもできるかもしれない。いずれにせよ、トールキンはベオウルフのこの記述から「オーク」の名前をとった(後述)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF_%28%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%29

ということでオークとオルクスは関係があるらしい。
アリュージョニストで姫騎士展開くるで!


あと、オークの項目を見ていて面白いと思ったのが、オークの起源には諸説あって、

ただし、「オーク」という言葉は、海の怪物を指す言葉として別に英語に存在していた。こちらは大プリニウスの著書『博物誌』におけるオルカ(orca)の記述に由来し、中世には伝統的な海の怪物として転化して用いられた。ある資料に拠れば、シャルルマーニュは地中海でオークに船を襲われてこれを倒したとされている。アリオストの叙事詩『狂えるオルランド』では乙女アンジェリカを捕らえた海の怪物に与えられた名前であり、英雄ルッジェーロはヒッポグリフに乗ってこれと戦った。このオークは巨大で、鱗があり、牙と豚のような鼻を持っていて、剛毛が生えていた。オークの鱗がどうしても刃物を通さなかったため、ルッジェーロはオークを追い払ったにとどまり、のちオルランドがこのオークを力技で殺害している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF_%28%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%29

という別ライン、海の怪物としてのオークもあったみたい。牙と豚のような鼻を持っていて、剛毛が生えているオーク。

オークが豚っぽいって言うのに関しては

トールキンの叙事小説『指輪物語』の刊行以降、オークはファンタジー小説ロールプレイングゲームで一般的に見られる存在となった。こうした派生作品では、オークとゴブリンは二つの異なった種族とされていることが多い。一時は豚のような顔で描かれることが多かったが、トールキンの作品にはそのような記述はない(一応、二つの塔p76で、ウルク=ハイがオークを罵倒する際「豚小屋に住む」「豚野郎」と言う蔑称が使われるが、豚に似たという描写は一切ない)。これはアイルランド語のorc(英語のporkと語源が同じ)が偶然にも豚という意味を持っていたためと、古来、聖職で、予言の力を持つとされた豚飼いが零落して邪悪なイメージを伴ったというアト・ド=ヴリースの説と関連すると思われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF_%28%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%29

という説があるらしい。


死の国の住人、という意味だけだった言葉が、時代を経るにあたって、(あと一番のターニングポイントは、指輪物語だと思うけれども)イメージが変わっていって、最終的に豚鼻、牙の人間ではない凶暴な亜人の種族になっていくのは面白い。


もともと、亜人はいるけどいない、いないけどいる、という存在だった。

ところで、亜人が肉的な、種族、生き物、生物、フィジカルな個体として扱われるようになったのは、近代以後の唯物論的世界観と、近代の物語の影響力が大きいと思う。トールキンとか水木しげるとか。
妖精や神やイエティというものは、いないけどいるいるけどいない、というような存在で、(それは実際に存在する幻の生き物や森にすむ人も同じような扱いでその境界は曖昧だったろうけれども)そういう、“いるけどいないもの”フォルダが世界観の中にあった。しかし近代になって、“いるけどいないもの”フォルダがなくなって、そういうあいまいであった存在に対して、生き物としての肉を与えなければその存在の置き場がなくなってしまったのだと思う。“いるけどいないもの”というものはダブルシンク(二重思考)そのもので、お互いに矛盾した定義を脳内に持ちながらそれを共存させるという思考法で、1984で、否定的にかかれ(というか党が人民に支配を受け入れるために強制している思考法)ているけれども、しかし、そういうのもアリだったのだと思うし、いま現在を生きてる自分もそれはアリだと思う。
1984が描かれたのが1948年。合理主義とか、そういうのが多分一番脂がのっていた世界観の時代で、正しいことは正しかったのだと思う。
よくわかんない話になってきた。